生きてることがつらいなら

死にたい。

 

そう思うことが

慢性的な逃げになってきている気がしている。

誰も見てないと思うけど

吐き出す場所もないから

ここに書いてる。

 

子供の頃

世界のどこまでも行ける気がした。

それは、社会を知らなかったこともあるが

小中高生にとって見られる目安の

学力が他の人に比べて優秀であり

負ける気がしなかったからであった部分が

大きいと今では思う。

 

しかし、大学生になって

上京して、一人暮らしになり

東京の、日本の、世界の大きさに

驚嘆し、落胆した。

自分は、ちっぽけな存在であり

自分より優秀な人間なんて

いくらでもいるということを思わせられるには

充分だった。

自分の代わりは

いくらでもいるし

自分1人では

この世界を駆けるのは

不可能だと自覚した。

 

ちょっと考えれば

わかることだった。

人間の知能や脳なんて

大体の人間は同じである。

とびきりの天才なら

まだしも、それは

生まれた時のDNAでわかる。

特別な人間か平凡な人間か。

世の中の

スポーツ選手や一流と呼ばれる人達は

生まれた時に特異な才能がある割合が高い。

そして、残念ながら

自分は平凡な人間である。

どこにでもいる

平凡な人間だ。

なんの取り柄もない

つまらない人間だ。

 

エヴァ綾波レイというキャラクターがいる。

彼女は、こう言ってる。

あなたが死んでも

代わりはいるもの。

その通りだ。

 

だからこそ

この世界はクソゲーだ。

三次元、リアル

生きてる目標すら

見つからないクソみたいな時代だ。

いっそ、戦国大名にでも

生まれていれば

充足感をこれほど求めることも

なかったのかな。。